へなちょこシンママの幸せ計画。

とあるシンママの雑記。

究極の強制断捨離〜私の実家には何もない〜

火事になったら一番に何を持ち出しますか?
何を一番に買いに行きますか?

私の実体験をお話しします。

今から3年前、実家の隣家から出火。その日は強風が吹いていた。実家は運悪く風下。強風にあおられた火は容赦なく実家を襲った。
父は外出中で実家には母が一人。母は慌てて119番通報し、まず一番に自分の命を持ち出します。(これ、重要です。)周辺の家にも火事を知らせた後、家に戻り貯金通帳や印鑑などの重要書類を持ったところでタイムアウト。火の勢いが強く、それ以外の物を持ち出すことは出来ませんでした。
私が知らせを受け、実家に駆けつけた時には壁一枚だけが残された姿に。それでも一人で留守番をしていた母が無事でホッとしました。

突然、全てを失くしてしまった両親。住む所が見つかるまで、我が家で過ごすことになりました。

しかし…

私の実家には何もない。
ゆるり◯いさんもびっくり‼︎

究極の強制断捨離です。

とりあえず、一から必要な物を買い直さなければいけません。

先ず何が必要なのか?

一番に買った物は洗面道具や化粧品、ひげ剃り、着替え等の身だしなみを整える物。
二番目に買った物は固定電話しかなかったため連絡用に携帯電話。
三番目に買った物は礼服でした。

礼服に関しては、この状況で礼服??もっと必要な物があるんじゃないの???と思いましたが、社会人として必要最低限の持ち物らしいです。
世代の差なのでしょうか?

続きます…。





久々の断捨離 リサイクルショップに行ってきた

断捨離をはじめて2ヶ月位は物がなくなってスッキリすることが楽しくて、何度もリサイクルショップのお世話になった。

3ヶ月を過ぎた頃から捨てる作業が停滞し始めた。それでも我が家には必要ないけれど、まだ使えそうな物をまとめていた。量が増えてきたため、久しぶりにリサイクルショップへ。

今回、買取ってもらった物は、衣装ケース2個、3段ボックス、訳のわからないコード類たくさん、安いからと購入したけど着ることなく値札もついたままの服、箱に入ったままの贈答品などなど。

査定をしてもらっている間、店内をウロウロ。以前の私なら「せっかく来たのだから何か買わなきゃ損、損。」と目の色を変えて物色していた。

今はそんなことはしない。「色々な物があるなぁ〜」とか「こんな物も買取ってくれるんだ〜」と見ていただけ。

買取り金額720円也。

部屋がすっきりして、断捨離が終了した気分になりそうだが、気持ちを新たに持ち物の見直しをしていこうと思う。





断捨離で気付いた自分の弱さ

2年位前、人生のどん底にいました。

何をしても空回り。人間不振に陥り、やがて心を閉ざし自分の殻に閉じこもるように…。

なぜ、誰もわかってくれないのだろ?
なぜ、こんなに頑張っているのに認めてもらえないのだろ?
なぜ、こんなに辛い思いをしなくてはいけないのだろ?
なぜ?なぜ?なぜ?

答えを求めてネットサーフィンし、自己啓発系の本を読み漁り、更には神頼みまで‼︎

するとやって来たのは断捨離の神!?(・_・;?

必要な物、必要でない物を仕分ける中で見えてきたものは…

自信がなくて、不平不満だらけで、人の目ばかり気にして、言いたいことも言えず、常にブレていた自分。

もしかしてどん底を呼び寄せていたのは私?

必要な物を見極めていくことで、自分の弱さに直面することになった。

それでもまだ捨てられない物が残っている。
おかげで自信は無いのに不平不満はある。しかもブレまくりなまま。だけど、心は軽くなりました。

まだまだ断捨離は継続中。
断捨離は私の一生のテーマになりました。


















断捨離はじめました

ある日、断捨離の神が舞い降りました。

常に片付けを意識していたので、荷物であふれていた訳ではありません。なので、それ程捨てる物は無いだろうな〜と甘く考えていた私。

ゴミ袋を持ち家中をウロウロ。
子どもたちの「また変なことをはじめた」という冷ややか〜な視線が背中にグサグサ。
そんなことは気にせず家中の荷物を改めてよく見てみると・・・

全く使用していない物、途中で使用をやめてしまった物、似合わない服、存在すらすっかり忘れていた物、なんとなく取っておいた物…
実に半分以上の物が活かされていないという事実が判明‼︎

シンママで低所得のため節約を心がけ、質素に暮らしていたつもり。しかし、目の前の大量の荷物は何?本当に必要な物を買っていれば、 もっと上質な物が買えたはず。もっと楽しい過ごし方が出来たはず。もっと貯金が出来たはず。

断捨離とは単純に物を捨てることだと思っていた。しかし、実は奥が深かった(←今さら?)

私にとって断捨離は自分の弱さを知り、自分を見つめ直す機会になった。